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新潟家庭裁判所 昭和54年(少)1322号 決定

本人 K・S(昭三三・六・一生)

主文

少年を中等少年院に送致する。収容期間を昭和五五年一〇月二三日までとする。

理由

(非行事実)

少年は、昭和五三年五月二九日、当庁において、保護観察に付されたものであるが、数か月間キヤバレーで稼働した以外には定職に就かず、徒食生活を送り、犯罪性のあるA(当二三歳位)と交友し、昭和五四年八月に帰郷してからは、以前から顔見知りであつた暴力団関係者のBの露天商の手伝いをして同人方に寝泊りし、家に寄りつかず、自分はヤクザとして生きていくしかないと思い、ヤクザの世界に傾斜して、正業に就こうとせず、保護観察所からの就職斡旋等の指導に全く従わないなど、保護者の正当な監督に服しない性癖を有し、正当の理由がなく家庭に寄りつかず、犯罪性のある者と交際しているもので、後記の少年の性格、環境に照らすと犯罪を犯すおそれがある。

(適用法条)

少年法三条一項三号イ、ロ、ハ

(処遇理由)

少年は、昭和五二年六月、オートバイ盗、侵入盗などを犯し、当庁において在宅試験観察を経て、昭和五三年五月二九日保護観察に付された。保護観察直後から行状は悪く、前記Aと行動を共にし、保護者や保護観察所から働くよう指導されながら、徒食生活を送り、短刀を購入して所持するなどの行動があつて、同年八月保護観察官からの強力な指導を受けた。その後、キヤバレーで稼働し、同年一一月からは横浜市内のキヤバレーで本格的に働くようになり、昭和五四年一月からは、横浜保護観察所の保護観察を受け、給付も少年の小遣銭をのぞいては実家に送金することとした。しかし、同年七月、前記Aの誘いがあつたためか生活が乱れ、勤め先のキヤバレーを飛び出して居所を転々とし、結局、同年八月帰郷した。帰郷後は、勤労意欲がなく、全く稼働しようとせず、母親に対して、送金した金を渡すよう要求し、一〇数万円を受けとるや直ちに費消し、父親に対して「殺してやる」などといつた気勢を示すありさまで、保護者は少年を規制することができず、少年は家に寄りつかずに、前記Bの許で徒食している。

少年は、Bを通じヤクザの世界に接し、その影響を受け、ヤクザ的な言動を身につけ、短刀を所持するなど、ヤクザ的生活へ傾斜している。保護観察官に対する面接において、侵入盗、ヤクザとの喧嘩など数々の大きな犯罪を敢行した旨述べているが、これを逐一補強する証拠がなく実態は明らかではないが、ヤクザ的な虚栄心からの誇大な言動で、現実に犯したものは極めて小さな犯罪であると思われる(例えば、小学生との車上狙、六〇〇円窃取)。

少年は、軽愚級の精神薄弱で(IQ五八)、精神的にも幼稚で、気分本位に行動し、挑発的剌激に反応しやすく、感情統制力は極めて弱い。したがつて、前記A、Bらとの交際も決して対等ではなく、都合のよい時だけ同人らに利用されるといつたもので、少年は、小学生などと遊ぶことが多く、付近の子供の親からは危険視されている状態である。

少年の家庭は、父親も精神薄弱のようで、父の説教等に対し、少年は腕力をもつて対抗しようとする傾向にあり、現実に衝突した場合、少年が父親を押さえつけるといつた状態になりかねない。母親は、少年の監護について、これまで熱心に奔走してきたが、少年の素行の悪化を防ぎきれず、特に、少年が近隣に対して迷惑をかけ、警察ざたになることにより、少年の妹(現在小学校六年)が精神的に耐えきれず、登校拒否など悪影響を受けることを強く心配し、少年の施設における教育も己むなしと考えるに至つている。

保護観察期間中の少年のこれまでの行状、少年の性格、環境等を考慮すると、少年がさらに暴力団との接触を強め、その中で犯罪を犯すおそれは強いものといわなければならない。

少年に対しては、集団生活を通じて、我慢強く働き、自己の感情を統制し、健全な社会生活を営めるよう、中等少年院において系統的な矯正教育を施すことが必要であり、その収容期間は、向後一年間が相当であると考える。

よつて、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項、少年院法二条三項、犯罪者予防更生法四二条三項により、主文のとおり決定する。

(裁判官 浅香紀久雄)

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